第68回沖縄芸能大会

きょう

2005年10月17日 23:00

終わりました。

昨日は夕飯食べた直後から急激に睡魔が襲ってきて、、、翌日のご報告になります。
ご報告といっても当日は終始慌しく、
客観的にレポートできるほどイベント全体を見ることはできませんでした。
淡々と当日の様子をお伝えします。

朝9時に教室に弟子全員集合。ワゴン車に筝を積み込み、一路会場へ。


10時頃会場到着。楽屋へ筝搬入。既に20人近くが準備している。
楽屋と書いたが、200人以上いる出演者、
筝の人達、とか、踊りの○○先生ところの教室、というように
団体ごとに会議室とか、リハーサル室などが割り当てられている。
筝はいつものリハーサル室。


到着早々、大先生に「筝の調弦をするから柱をセットして」と言われ、
言われたとおりやる。
カバーをはいで、大体の位置に柱をのせて、大先生に渡す。
調弦ができた筝から舞台袖に運ぶ段取り。

「衣装にまだ着替えてない人が運んで~」と大先生の呼びかけだが、
見回すとほとんどの人が着替え始めている。 しまった、出遅れた。
ほぼ一番の若手である私が、一番の筝の運び手となる。

10台以上の筝の運搬に、本番前にぐったり。なかなか汗が引かない。
しばらく休んで、おもむろに着替え始める。
昨年の着付け教室通いのおかげで、ほとんど一人で着替えられた。稽古の効果を実感。


11時、配布されたお弁当を食べる。ちなみにオリジン弁当。えびフライがうまい。


12時、舞台袖へ移動。舞台に筝を置いていく。
始めの曲は総勢約150人が一斉に合奏するもので、全員がきつきつに座るため、
セッティングに時間がかかる。
位置が決まり、音を出して調弦を全員で確認したところ、筝と三線で音が合わない。
緊張が走る。大急ぎで三線の方が調整する。何とか幕開けへ。


幕開け3曲は、本来私は出ない予定だったが、印刷ミスでプログラムに
名前が載ってしまったところから、出演することに。
ほぼ1週間で仕上げたが、まあ何とかなった。
緊張で手は震えたが、大きなミスはなかった。
今回3つの演目(全9曲)に出演することになったのだが、
一番最後に仕上げたこれが一番いいできなのではなかろうか。


次の登場は、一部の最後、筝曲斉唱。それまで1時間以上の待ち。
先生方が舞台袖で準備に忙しそうにされている中、楽屋で休むわけにもいかず
舞台袖で舞台の見学。踊りがきれいでうっとり。

踊りの伴奏をする人を地方(ジカタ)というが、だいたい唄三線が5人、筝が1~2人、
笛・太鼓がそれぞれ1人という組み合わせになる。
先生とかベテランが務めるものだが、筝の場合、演奏者の人数が少ないのと
教育という意味もあって、若手でも担当させられる場合がある。
私も来年の分担を予告されている。 気が重い。

3時近くになって筝曲斉唱が始まる。
これは割りと自信があったので、可もなく不可もなく終了。


休憩を挟み、第二部スタート。私は最初の曲に出る。
これも第一部と同じように100人以上が舞台に乗っての斉唱。
やはり準備に時間がかかる。本会の会長=舞台監督の怒号が飛ぶ。
今回の三線と筝の調弦がいいみたい。演奏開始。
この曲は自信があったのに、調子に乗ったせいか大きなミスした。悔やまれる。


私の出番は終わったが、私の先生と先輩の演目はまだ後半にあるため待機。
舞台袖と楽屋と客席を行ったりきたりして過ごす。
4時頃地震があったそうだが、移動中だったのか全く気づかず。
「結構揺れたよ~」と聞いても、「へー」としか言えない。


5時過ぎにすべての演目が終了。
そそくさと着替え、楽器片付けを済まし、車へ荷物運搬。


7時頃、教室到着。解散となった。


怒涛の一日でした。
出演者の皆様、お疲れ様でした。 観客の皆様、ありがとうございました。
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