2005年09月20日

六段について その2

六段の歴史について

前回書いたように、一般には琉球に八橋流が伝わった際に
「六段」など曲も伝わったとされています。
しかしそれを覆すような説が出てきてしまいました!

こちらのサイトの
http://www.niji.or.jp/home/tao-ma/are-kore.html
項目の8番目に「『六段の調べ』は八橋検校の作では無かった?」とあります。
琉球より伝来した六段を、八橋検校の弟子が平調子に直したとの事。

えーーーっっ!?どっちが正しいの???

この説を知って私なりに考えてみました。そこで思い当たったのが次のことです。

昨日久々に山田流の六段を弾いてみて気づいたのですが、やたら九を押すなぁ、と。
九はそのまま弾くより、左手で押して音を高くするほうが断然多いのです。

ついでに四を押すのもこの曲は多いかな?
そんなに九を押すなら最初から調弦を高めにしておけばよいのに。

でも平調子を崩せないならば、九をいちいち押さなくてはならない。
平調子ありきならば、
こんなに九を押さなくてはならない曲を発想するのは難しかったのではないと…。
もしかしたら、どこか他のところから曲を持ってきてアレンジした…??


まあ、これは私の妄想です。
未だに正式な歴史がはっきりしないようですが、
研究者の皆様の進捗に注目していきたいと思います(^^;)

(ご紹介くださったi_love_shamisen様、掲載をお許しいただきました田尾様、
ありがとうございました)


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